2014年9月1日月曜日

女性の健康の包括的支援に関する法律について

法案の作成過程


本年1月、自民党政務調査会に女性の健康の包括的支援に関するプロジェクトチームが置かれました。
このプロジェクトチームは、対馬ルリ子医師の働きかけで作られたものです。
同氏のブログには、以下のように記されています。

1.自民党の政務調査会(政調)の「女性の包括的健康支援に関するPT(プロジェクトチーム)」会議が、1月から3月まで7回、終了しました。私たちの働きかけによってできた政調の10個あるPTのうちのひとつで、高階恵美子さん(参議院議員、看護師保健師さん)がリーダーになって、女性の一生涯の健康を包括的に支援するにはどうすべきかを検討しています。今の日本は何が足りないのか、何が問題なのか、海外ではどうなっているのか、今後どのようにしていけばよいのか等について、女性医療ネットワークと、連携している人たちから、意見を述べさせてもらいました。今後、高市政調会長に報告をあげ、あとは安倍総理がどのように政策に生かしていただけるのか。ということになります。楽しみです。

女性の健康の包括的支援に関する法律は、実質上「対馬法」とも言えるものです。
3月28日には「女性の健康の包括的支援の実現に向けて<3つの提言>」がまとめられました。
4月1日には党の文書として公表されました。
同文書には7回のヒアリングの日時と内容が記されています。
また、出席団体として、5団体名が記されています。
6月17日には高階恵美子外3名による議員立法として参議院に提出されました。
議案は継続審議となりました。

女性の健康の包括支援法への期待と懐疑


「女性の健康の包括的支援に関する法律(案)」は6月17日に提出され、継続審議となりました。
「女性の健康の包括的支援に関する法律」を支持する活動も盛んに行われています。
週刊金曜日のサイトは、「自民党 リプロ・性教育バッシングから一転、女性の健康包括的支援へ」と題する以下の記事を掲載しました。

【政党】自民党 リプロ・性教育バッシングから一転、女性の健康包括的支援へ 4月1日
 自民党は1日、同党「女性の健康の包括的支援に関するプロジェクトチーム(PT)」(座長・高階恵美子参院議員)がまとめた「女性の健康の包括的支援の実現に向けて〈3つの提言〉」を公表した。
 女性の生涯にわたる健康という視点からの包括的支援が十分に行なわれていなかったことからPTを立ち上げ、今年1月から7回にわたり有識者や団体からのヒアリングや議論を重ねてきた。提言では、女性の健康支援に向けた教育・養成プログラムの改革、女性総合診療という新たな専門分野の確立、DV対策の充実のほか、安全な出産環境を整備することなどを盛り込んだ。今後、提言を基に議員立法として法案提出を検討する。
 高階座長らは7日、首相官邸を訪ね安倍晋三首相に提言書を手渡した。安倍首相は「この中に知恵がある」と述べ、来年度の予算編成に向け、提言を参考にする考えを示した。かつて、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを否定し、性教育攻撃を行なっていた同党の山谷えり子参院議員らと性教育バッシングのシンポジウムを開催した安倍首相だが、「女性活用」のために考えを改めたのだろうか。


自民党は改心して、女性のための法律を作る事にしたのでしょうか。
よからぬ企みほど、きれいな言葉で飾られます。
きれいな言葉に惑わされ、よからぬ企みに協力してしまう善意の人も出てきます。
想い出して下さい。
子宮内膜症患者の支援と銘打って、ピルの保険適用がなされました。
しかし、実際は缶コーヒー1本ほどの値段のピルのラベルを貼り替えて、7000円にしてしまいました。
この法律が女性にとって有益な法律なのかどうか、冷静に考えてみる必要があるでしょう。

誤解の原因


 「女性の健康の包括的支援」と銘打つならば、性の自己コントロールが重要な柱として位置付くと考えられます。
週刊金曜日もそのように考えるから、「自民党 リプロ・性教育バッシングから一転、・・・」とタイトルを付けています。
しかし、この「女性の健康の包括的支援に関する法律(案)」には、避妊のヒの字も出てきません。
それは偶然ではありません。
この法案には、「性差医学」を「女性医療」と読み替える日本的運動が深く関わっています。
「女性医療」運動とは何か、から見ておく必要があります。

 性差医学と性差医療(女性医療)


1990年代のアメリカでGender-Specific Medicineが提起されました。
Gender-Specific Medicineは、性差医学とも性差医療とも訳すことができます。
しかし、元々は性差医学です。
性差医学のための病院も作られますが、
それは医学研究の医学部と付属病院の関係と同じです。
性差医学(とそれに付随する性差医療)は医学研究の潮流であり、
立法や政治にはなじまない問題です。
日本の性差医学の草分けは天野恵子医師です。
性差医学・性差医療の必要性を天野医師へのインタビュー記事で確認しておきましょう。
天野医師は性差医学と性差医療の関係をしっかり認識しておられるのですが、
あえて違いを強調しないとのお考えのようです。

女性医療の登場


性差医学と性差医療(女性医療)の関係が曖昧な間隙を縫って、
日本では女性医療という潮流が生まれてきます。
よりよい医療を望む女性の願いを逆手に取り、
複数の政治家により性差医療で女性の医療条件が改善するかのような幻想が語られます。
2000年前後のことです。
このような流れの延長線上にあるのが、
対馬ルリ子医師による性差医療としての「女性医療」です。
性差医学の研究は、疾病リスクや薬剤の効果などに性による差異があることを明らかにしました。
しかし、それはむしろ例外的な差異であり、性を越えた同一性がベースになっています。
したがって、性差医学の提起するところは、医療において性差の観点を考慮しようというものです。
これなら誰も異存はないでしょう。
このような医療は取り立てて【女性医療】という必要のないものです。
対馬ルリ子医師のユニークな点は、
女性医療ネットワークなるNPOまで立ち上げ、
【女性医療】という領域を作ろうとしたことです。

不確かな女性医療の必然性


性差医学は女性に対する医療の質を向上させます。
女性に対する医療が性差医学の知見を取り入れれば、
女性が受ける医療の質は向上します。
しかし、そのことと女性医療を分離すべきだという考えは、
必ずしも結びつくものではありません。
Gender-Specific Medicineと同時に注目されるようになったのが、Race-Specific Medicineです。
人種差の医学です。
人種差の違いに配慮した医療は、医療の質を高める可能性があります。
しかし、黒人医療が必要という人もいなければ、
黒人専用病院が必要という人もいません。
生物学的な差異が強調されすぎると、
医療における差別を引き起こしてしまう可能性があるからです。
生物学的決定論は、社会的文脈の中で恣意的解釈を生む危険を内包しています。
わが国の女性医療運動の特異性は、
女性に対する医療の分離を主張することです。

 

プレ更年期説のもたらしたもの


ピル解禁から5年後の2004年、ピル政策は大きく転換し避妊薬ではなくライフ・デザイン・ドラッグとして位置づけられます。
この政策転換と表裏一体の関係にあるのが、女性医療運動であり、「プレ更年期」説でした。
女性の身体変化はホルモン変動によって説明され、
このホルモン変動をコントロールすることでトラブルを避けることができると説明されます。
ピルがライフ・デザイン・ドラッグとされる所以です。
対馬医師によると、35-45歳の女性はホルモン量の減少が見られる「プレ更年期」であり、
低用量ピルでホルモンを補充することが推奨されました。
年齢の高い女性へのピル推奨は医学常識を逸脱するものです。
ピルが避妊薬である時、ピルユーザーのピークは20代の女性です。
ところが、日本では「プレ更年期」対策としてピルが推奨されたため、ピルユーザーの過半は年齢の高い女性となりました。
その結果、日本では世界のピル史上最悪の副作用被害が生じました。参照 35歳からのピル(「プレ更年期」のピル療法について)

女性の健康の包括的支援に関する法律に受け継がれる生物学的女性観


女性の健康の包括的支援に関する法律には、
「女性の健康についてはその心身の状態が人生の各段階に応じて大きく変化するという特性に着目した施策を行うことが重要」と規定しています。
この法律が、対馬医師の思想、女性医療運動を具現化したものにほかならないことを示しています。
上述したように、対馬医師は「プレ更年期」説を唱え、
「プレ更年期」の女性にサプリのようにピルを服用することを奨めたのです。
「サプリのように」は、比喩的に述べているのではありません。
彼女の著書の中に書かれている言葉です。
40歳以上の女性に対してピルは相対禁忌です。
その年齢層の女性にピルが奨められた結果、
ピル史上空前の副作用被害が生じました。
このことについて、対馬医師は反省と謝罪を表明するのが先だと思うのですが、
かえって国家レベルで推進しようとしています。
対馬医師の言説により副作用に苦しんだ、あるいは亡くなった女性がいる事を思うと、
この法案に賛同することは決してできません。
対馬医師のホルモン還元主義的女性観は、
 女性を生物学的特性からとらえるものです。
法が上記のような規定を行うことは、
女性を生物として扱うと宣言したようなものです。
たとえそれが立法者の善意に出るものであれ、
女性を生物学的特性からとらえれば、
女性の生き方を国が規制することに繋がるでしょう。


誰が誰を支援するのか?


法律案の中には、「支援」の語が36回使用されています。
この「支援」の主語はきわめて曖昧なのですが、
法律なので常識的には【国が支援する】という意味に解されます。
誰を(何を)支援するのかも明確ではありません。
誰が誰を支援するのか、不明確な法律なのですが、
少なくとも女性が支援される存在であることは明らかでしょう。
女性が生物学的な存在であるならば、
支援は意味があることかもしれません。
私は日本の女性に対する医療の遅れは、
そのような問題ではないと考えています。
1970年代のリブ運動を契機として、
女性医療は、そして全ての分野の医療も、パターナリズムを脱していきました。
自立的な女性とそれを支援する医療という関係ができてきました。
ところが、日本ではそのような関係が構築されませんでした。
現代社会は複雑な構造を持ち、それぞれの女性の持つ背景やニーズはさまざまです。
女性を取り巻く環境の変化とパターナリズムの齟齬が、
日本の女性に対する医療の基本的問題としてあると考えます。
女性は支援されるべき存在ではなく、
自助が励まされる存在でなくてはならないと考えます。
法律案が生物学的女性観に立つのであれば、
それは日本の女性医療をパターナリズムに押し留めるものです。
法律案に避妊のヒの字もないのは偶然ではありません。
性の問題は、個々人により抱えている問題がそれぞれ異なり、
女性自ら主体として解決していく問題です。
生物学的女性観に立つ【支援】は、
女性の自立となじまないのではないかと思います。

医療資源の分配


法律案には「女性の健康の包括的支援に関する施策を総合的に推進することを目的とする」と書かれています。
立法の経緯から考えれば、これは「女性医療」を行う病院を行政が支援することを意味していると考えられます。
ここで考えておきたいことは、女性に対する医療の現状です。
女性がかかりつけの産婦人科を持つことが推奨されることがあります。
しかし、そのようなゼイタクが許されている国はどこにもありません。
日本でも実現不能です。
産婦人科医の都市集中は今も進行中です。
田舎では、産婦人科医に通うのが1日仕事になる地域も少なくありません。
「女性医療」を行う病院は都市部で可能であっても、
全ての女性が享受できるものとはなりません。
この現状を変え、女性に対する医療の全般的質を高めていくためには、
むしろ家庭医制度を充実していく方が効果的でしょう。
これまでも日本では女性医療を産婦人科医が囲い込んできました。
その端的な例がピルの処方です。
ピルの普及している国で、産婦人科医だけがピルを処方している国などどこにもありません。
ピルを処方するのは、家庭医であったり、資格を持つ看護師であったりします。
まさにかかりつけ医が女性の健康に関与しているのです。
性差医学の知見が家庭医にも共有されれば、
女性の医療はさらに向上することが期待できます。
女性の健康の包括的支援に関する法律の目指しているところは、
女性医療の囲い込みをさらに促進しようとするもののように思えます。
それが日本の女性の健康に寄与することになるのか、
疑問に思わざるを得ません。

幻想の中の「女性の健康の包括的支援に関する法律」


「女性の健康の包括的支援に関する法律(案)」は具体性が乏しく、
何がどのように変わるのか見えにくいものになっています。
法案作成過程では、薬剤中絶法の問題なども取り上げられ、
女性のリプロヘルスライツに寄与する法律であるかのような幻想が生じました。
しかし、私の見るところではそれは単なるパフォーマンスに過ぎません。
この法律案は、何を課題と考え、どのように解決しようとしているのか、
全く見えない法律案です。
私はこの法律案に塵ほどの期待も持っていません。
そのよって立つ女性観・医療観は陳腐なまでに旧態依然たるものであり、
進もうとしている方向は現状の問題をさらに悪化させるもののように思えます。




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上記は6月に作成したブログ原稿に手を加えたものです。
公開しても理解していただけないかもと思い、
お蔵入りさせていたものです。
関連ツイートを以下に収録します。






























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