2016年3月22日火曜日

緊急避妊薬の市販薬化が性感染症制圧の第一歩


論旨

①欧米先進国では1994年よりHIV感染者は減少に転じ、日本は増加傾向が続いている。
この傾向が継続すれば、日本のHIV感染者は欧米を凌ぐ日が来る。


②欧米でも日本でも、HIV感染者に対する多剤併用療法が導入された。欧米でHIV感染者が減少しているのは、多剤併用療法の効果である。日本には未発見の、それゆえ多剤併用療法を受けていないHIV感染者が多いために、HIV感染者の減少は生じていない。


③日本のHIV感染者を減少させるには、欧米並みの検査率を実現し、HIV感染者に多剤併用療法を行う事が必要である。


④現状、日本のHIV感染者増加に寄与しているのは、男性同性愛者のHIV感染増加である。男性HIV感染者の増加には、検査の普及が関係している。


⑤エイズ発症者では男性同性愛者よりも異性愛者の方が多く、異性愛者の検査は同性愛者に較べて立ち後れている。


⑥比較的検査率の低い異性愛者はもちろん、同性愛者でも、HIV感染者を減少させるだけの検査は行われておらず、多剤併用療法の効果が限定的となっている。


⑦感染力が強く、潜伏期間が短く、治療が容易なクラミジアは、HIVと対称的な性感染症である。欧米を凌ぐ日本のクラミジアの感染率は、検査と治療の立ち遅れを示している。また、将来日本のHIV感染が欧米を凌ぐ事を示唆している。


⑧半自動的になされる性感染症検査を除くと、日本の性感染症検査は極端に少ない。保健所では無料の検査サービスを提供しているが、1保健所1日当たりの検査件数は、1件である。


⑨HIV感染者を欧米のように減少に転じさせるには、少なくとも200万件、望ましくは800万件の検査が必要である。検査を飛躍的に増加させる方策には、啓発・産婦人科での推奨・ノルレボ市販薬化の3つが考えられる。


⑩性感染症検査受診行動は、何らかのきっかけが必要である。きっかけなしに性感染症検査に出向く事はほぼあり得ない。


⑪古い性感染症観が支配的である中では、啓発により短期間に飛躍的に検査率を上昇させる事は困難である。


⑫第1の方策、啓発が受診行動に結びつかないのは、きっかけのなさと関係している。啓発を受診行動に結びつけるには、クーポンの配布などきっかけをとなる工夫が必要である。


⑬避妊失敗件数は400万件生じており、性感染症検査の必要な男女800万人が存在している。この800万人は、性感染症検査へのきっかけを持つ800万人である。


⑭第2の方策である産婦人科での推奨は、800万人に対してどれほどの有効性を持つか検討すると、極めて限定的な効果しか持ち得ない。


⑮第3の方策は、緊急避妊が必要な400万人が緊急避妊を受けれる体制を作り、彼女とそのパートナー800万人に性感染症検査を勧める方策である。


⑯800万人に性感染症検査の必要を説明する時、たとえ3/4が無視しても、母数が大きいので1/4の人が検査を受ければ200万人。現在の検査状況を一気に変えることができる。


⑰性感染症はカップルの片方が感染者であっても他方がすでに感染しているとは限らない。したがって、カップルが同時に検査を受ける事が重要である。

⑱カップルが同時に検査を受ける文化がなければ、欧米並みの検査率に到達できない。この観点からも、緊急避妊を契機とする性感染症検査の普及が重要である。


⑲3つの方策は同時に進めることができる。日本は先進国の中で唯一緊急避妊薬の市販化がなされていない国であり、推定潜在需要400万に対して10万強の処方にとどまっている。この点の改善が、性感染症検査普及の第一歩となる。
 


性感染症予防に関する錯覚


日本はHIV(エイズ)感染率が低い国です。コンドームはHIVの感染予防に非常に有効です。ここまでは事実です。
そこで、コンドームの使用を徹底すればHIVや他の感染症を封じ込める事ができると錯覚する人が出てきます。
さらには、感染症の拡大防止のためには、コンドームの使用率を下げるおそれのある避妊法の普及を阻止する必要があると考える人がいます。
つまり、ピルや緊急避妊薬の普及は性感染症の拡大を招くと考えるのです。
そして、このように考える人の多くは、日本の性感染症感染率は他の国と較べて低く、コンドーム使用を徹底すれば低い感染率を維持できると考えています。
しかし、日本が性感染症大国に向かって突き進んでいる事を知らないおめでたい人たちです。

性感染症大国に向かって突き進む日本


20年ほど前の事です。国内にはHIV(エイズ)の拡大を危惧する意見が強く、ピルの認可が延び延びになっていました。
実はピルの認可は、性感染症戦略転換の絶好のチャンスでした。
下のグラフを見て下さい。


(画像修正2016.3.28。各国のピーク数値を示した。)

1994年を境に先進国のエイズ患者数が急激に減少に転じています。
世紀末までにピーク時から半減する減少ぶりでした。
例外は日本で、逆に2倍に増加しました。
(以下、HIVに関する図表は、「高リスク層のHIV感染監視と予防啓発及び内外のHIV関連疫学動向のモニタリングに関する研究」(主任研究者 木原正博)を基に作成。)
1994年の転機をもたらしたのは、多剤併用療法の導入です。
多剤併用療法には、3つの意義があります。
1つは、HIV感染者がエイズを発症するのを抑止します。
2つは、HIV感染者の体液中のウイルス数が減少し、感染の拡大を防止します。
3つは、HIV検査を普及させ、上記1・2の効果を強化します。
1994年はHIV制圧への第一歩を踏み出した記念すべき年でした。
多剤併用療法は日本でも導入されています。
しかし、日本ではHIV/エイズの減少につながっていません。
日本では感染者も患者も増加し続けています。


なぜ日本では他の先進国で見られた様な効果が見られないのでしょうか。
答えは明白です。
多剤併用療法は、HIV/エイズの感染者・患者に対して行われます。
HIV検査が一般化していない日本では、HIV感染者が発見されずに放置され、多剤併用療法も十分に行われないからです。
治療を受けていないHIV感染者が、さらに感染を広げる状態になっているのです。
検査と治療を重視しない限り、いつか日本は欧米よりも性感染症大国になるだろう。
これはサイトを開設した1999年に考えていた事です。
まだ逆転は起きていませんが、今もその考えは変わりません。
今のままでは日本は欧米を凌ぐ性感染症大国になるでしょう。
すでに感染力の強いクラミジアでは日本は世界有数の感染率になっています。

男性同性愛者におけるHIV/エイズの急増


HIV/エイズ感染拡大の初期段階では、男性同性愛者の感染が目立ちます。
現在の日本でも、HIV/エイズ感染拡大に男性同性愛者の感染が大きく寄与しています。




 男性同性愛者のHIV感染率が高くなるのは、肛門性交ではコンドームの破損事故が生じやすく、またウイルスの侵入を容易にする傷ができやすいためです。
しかし、これは日本で同性愛者のHIV感染が急増している事の説明にはなりません。
同性愛者の間では、今世紀に入るとHIV検査の重要性が認識されるようになりました。
検査を受ける同性愛者が増えるにつれ、見えなかったHIV感染者が露見したに過ぎないのかもしれません。
下のグラフを見て下さい。
左はHIV感染者です。同性愛者が55%を占めダントツの一位です。
右のグラフのエイズ発症者では、一位は異性間の性的接触で、同性愛者は二位となってています。
異性愛者と較べ、同性愛者では検査を受ける割合が高く、エイズ発症前に治療を受けている事を示唆しています。


統計上、同性愛者のHIV/エイズ感染が拡大しているのは、異性愛者と較べ同性愛者のHIV検査受診率が高いことが関係している可能性があります。
それでも、諸外国で見られたような多剤併用療法によるエイズ発症率の低下は見られません。
未検査・未治療のHIV感染者が多数いる事は明らかでしょう。
そして、それは同性愛者だけの問題ではありません。
HIV検査受診率が同性愛者より低い異性愛者には、おそらく同性愛者以上の隠れたHIV感染者がいると考えられます。

HIV検査の充実が課題


HIV/エイズに対して多剤併用療法が導入されている現在、早期発見・早期治療は感染者本人のためにも、感染の拡大を防止するためにも重要です。
しかし、検査あっての多剤併用療法なのです。
検査の受診率が極端に低いために、多剤併用療法導入にもかかわらずHIV/エイズ拡大を阻止できてないのが日本です。

献血は思わぬHIV感染を知るルートの一つでした。
しかし、献血者にはリピーターが多く、献血によりHIV感染が発見されるケースは減少していきます。
保健所等では無料の性感染症検査を提供しています。
下のグラフはHIV検査件数を示したものです。


無料のサービスであるにもかかわらず、十万件台で推移しています。
しかも、最近はむしろ減少傾向を示しています。
近年、HIV感染者数は高止まり横ばいの傾向を示していますが(上のHIV感染者及びAIDS患者の年次推移のグラフを参照)、
性感染症への関心が薄れるにつれ検査件数が減少傾向となっている事と関係しているかもしれません。

引き継がれる古い性感染症観


NHK高校講座の保健体育「性感染症・エイズとその予防」のページです。ウェブ・ラジオが視聴できます。
性感染症は治療できる事を押さえ、検査や治療の重要性に言及しています。
素晴らしい内容です。
もし一般の高校でもこのような授業が行われているのなら、
性感染症検査が普及しても不思議ではありません。
しかし、現実は性感染症検査を受ける人は少数に留まっています。
なぜなのでしょうか。
古い性感染症感が継承され、補強され続けていることが関係しているように思えます。

抗生物質のない時代、性病は恐い病気、忌むべき病気でした。
その記憶が薄れかけたところに現れたのが、エイズでした。
当初、エイズには治療薬がなく死に至る恐い病気でした。
そのエイズにも治療薬が開発されていますが、
性感染症は恐い病気、忌むべき病気という印象が強く残っているように感じられます。
死んでしまいたくなるほど恐い病気であれば、
検査への足は重くなるでしょう。

性病はかつて花柳病と言われた事があります。
清く正しい生活をしていれば性感染症にはかからないとの考えがありました。
それは形を変えて、不特定多数との性交渉が性感染症を引き起こすとの意識を形作りました。
不特定多数との性交渉は性感染症のリスクを高める事は事実です。
しかし、そうでなくても性感染症にかかる事はあります。
性感染症が道徳と結びついたために、
性感染症にかかる事は不道徳と考えられるようになりました。
これも検査への足を重くしている要因でしょう。

かつて、コンドームは性感染症から自衛する唯一の手段でした。
そこへ降って湧いたのがエイズ恐慌でした。
流行地から遠く離れた極東の島国である事が、
日本にエイズ患者の少なかった主な理由です。
しかし、コンドームの使用とエイズの少なさが関連づけて考えられ、
コンドームの万能感が補強されました。
ちなみに、HPVワクチンに関連して、
コンドームで予防できるとの言説が多く見られました。
HPVやクラミジアの感染力は非常に強く、
コンドームで完璧に予防する事は事実上できません。

古い性病観では、性感染症は一般の病気とは性質を異にする、
悪い男/女の病気なのです。
この意識が根強い中では、検査や受診の啓発は効果をあらわさないでしょう。

 性感染症検査はパートナーと同時に受けるべきな理由


後で述べるように、コンドームの避妊ではかなりの頻度で事故が生じています。
コンドーム事故があれば、妊娠のリスクが生じます。
しかし、コンドーム事故があっても、必ず妊娠するわけではありません。
同様に、コンドーム事故があれば、性感染症の感染のリスクが生じます。
しかし、コンドーム事故があっても、必ず性感染症に感染するわけではありません。
HIVの感染力は非常に弱く、たとえパートナーが感染者であっても、
感染するリスクはそれほど高くありません。
逆にHPVやクラミジアの感染力は非常に強いのですが、それでも必ず感染するわけではありません。
パートナーの一方が性感染症を持っていても、パートナーの他方に必ず感染しているわけではないのです。
一方のパートナーが性感染症にかかっていないことを、他方の検査で判断する事はできません。
したがって、性感染症検査はパートナー同士がそろって受ける事が望ましいのです。
欧米のリプロセンターなどでは、パートナーが連れ立って性感染症検査を受ける光景はありふれています。
日本ではパートナー同士が同時に検査を受ける事はまれでしょう。
パートナー同士が同時に検査を受ける事はまれ。
ここに日本で性感染症検査の受診率が低く、性感染症拡大を食い止めれない理由があるように感じられます。
日本では、パートナーに「性感染症検査を受けに行こう」と提案できないのです。
この提案に予想される反応は、「何かやましい事でもしたの?」ではないでしょうか。
性感染症を悪い男/女の病気と考える古い性病観が支配的である時、「性感染症検査を受けに行こう」という提案はなされないのです。

性感染症検査と"きっかけ"


上で指摘したように、日本は先進国の中でHIV感染拡大阻止に失敗している例外的な国です。
そして、クラミジア感染が世界最高水準に広がっている国です。
その原因は明らかです。
性感染症の早期発見と早期治療がなされていないからです。
木原正博の研究も、「主要先進国としては例外的なAIDS患者報告数の増加は、検査体制の遅れを示唆しています」と指摘しています。
性感染症検査が一般化すれば、日本も他の先進国と同様に性感染症の拡大に歯止めをかけれます。
しかし、古い性病観が支配的である中では、啓発は効果を発揮しないでしょう。
性感染症検査の普及は、識者が頭の中で考えているよりもずっと困難な事なのです。
その日本で性感染症検査が広く行われている場面があります。
妊娠・出産です。
妊娠・出産に際して性感染症検査がなされる事は一般的です。
この検査でクラミジア感染が発覚するケースも少なくありません。
24歳以下では女性のクラミジア感染は男性の2倍以上ですが、
30歳を過ぎると男性よりも低い感染率になります。
(参照 「ピルは性感染症を予防できない欠陥避妊法」のウソ、ホント)


女性のクラミジア感染率の低下はおそらく妊娠に伴う性感染症検査が関係しているでしょう。
妊娠・出産も検査を受ける一つのきっかけです。
何かのきっかけがないと性感染症検査に出向かない。
これはどこの国でも同じです。
パートナーが変わる事もきっかけです。
性感染症検査はパートナーが変わる毎に行うのが理想的ですが、
コンドーム破損など避妊失敗は強力な動機づけとなります。

保健所の性感染症検査は有料化すべし


保健所では無料で性感染症検査のサービスを提供しています。
無料であるにもかかわらず、検査件数は10万件台です。
検査件数が伸びないさまざまな要因があるでしょう。
サービスが知られていない事もあるかもしれません。
しかし、そのサービスを知っていても何かのきっかけがないと出向かない。
それが性感染症検査の特性なのです。
そうであれば、現在無料のサービスを2000円にするとよいのです。
2000円ににしても検査件数が減少する事はないと思われます。
有料化すると同時に、クーポンを配布します。
1人で検査を受ける場合は1000円引き、2人で検査を受ける場合は4000円引きのクーポンです。
クーポンは保健所で提供しているサービスの広報の役割を果たしますし、なによりも検査に出向かせるきっかけになります。

性感染症検査の"きっかけ"としてのコンドーム事故


保健所が配るクーポンよりも格段に強力な動機づけとなるのが、コンドーム事故です。
日本の避妊は圧倒的にコンドームが主流です。
このコンドームには一定比率で破損などの事故が生じます。
コンドーム事故がどれほどの件数生じているのか、
推計してみましょう。
生殖年齢女性は約4000万人ですが、
パートナーのいない女性もいますし妊娠を希望している女性もいます。
あるいは年に数度しか性交渉のない女性もいるでしょう。
そのような事情を考慮して、1000万人の女性がコンドームを使用しとていると考えます。
コンドームの年間生産量が約6億5千万個なので、一人当たり65個を消費している計算になります。
コンドームのパールインデックスは、一般的使用で18、理想的な使用で2です。
1000万人がコンドームを理想的に使用しても、20万人が妊娠します。
コンドームの避妊失敗で妊娠する20万人の中には、中絶を選択する人もいれば出産を選択する人もいます。
コンドームの避妊失敗があっても、必ず妊娠するわけではありません。
妊娠するのは約5%です。
つまり妊娠件数の20倍の避妊失敗が生じています。
コンドームの避妊失敗で妊娠する人が20万人であれば、
400万件の避妊失敗事故が発生している事になります。
避妊失敗事故400万件に関係する男女は、800万人になります。
800万人が性感染症検査を受ければ、
日本の性感染症問題は一瞬のうちに欧米並みになり、
拡大に歯止めを打つ事ができるのです。
このきっかけを生かすかどうかの問題です。

ノルレボの婦産人科処方は性感染症問題の課題に背を向けるもの


コンドームによる避妊失敗は、性感染症検査の強い動機付けになります。
これを性感染症検査に結びつけるにはどのようにすればよいのでしょう。
日本は先進諸国をはじめとする各国とは異なる独自の方策を採用しています。
そして、日本の方策が失敗していることは明らかです。
日本では緊急避妊薬は市販化されず、病院で処方を受ける必要があります。
病院で処方の際に、性感染症検査を勧めれば性感染症検査も徹底するように思うかもしれません。
しかし、実際は病院処方では性感染症検査はほとんど普及しないのです。
なぜでしょうか。
現状を見てみましょう。
現状でノルレボの処方数は10万強です。
高い価格と病院受診の二重の障壁を設ければ、ノルレボの処方数は増えません。
発売時のメーカー予想では最大で20万件です。
仮に処方が20万件になり、全件で性感染症検査が行われたとしても20万件なのです。
20万件の性感染症検査では、性感染症拡大阻止の効果はほとんど期待できません
最低でも200万件の性感染症検査が行われなければ、
先進国に見られるような感染数の目立った低下は現れないでしょう。

病院処方では処方件数が少なくなるだけではありません。
処方病院で検査を行おうとすると、検査率も上がらないのです。
緊急避妊に伴う性感染症検査は処方時には行われません。
潜伏期間を考慮すると3週間後の検査になります。
妊娠回避の判定ができるのも3週間後です。
そこで病院では3週間後の来院を促すことになります。
服用後3週間後の時点で、98%の女性は妊娠回避を自己判断できています。
妊娠を回避できた98%の女性について、性感染症検査は3週間後のワンポイントである必要はないのですが、
病院ではワンポイントを指定することになります。
何月何日にと指定されてもその日に待ち時間を含めて数時間の時間をやりくりできる女性ばかりではありません。
特に妊娠を回避できたことがわかっている98%の女性は、検査のための受診をパスしてしまうのです。

産婦人科でも男性の性感染症検査はできます。
しかし、パートナー男性の性感染症検査が産婦人科で勧められることはほとんどありません

日本の性感染症対策の課題は、早期発見と早期治療がなされていないことです。
性感染症検査の強力な動機付けとなる緊急避妊の普及を妨げる政策は、
日本の課題に背を向けるものだと思います。
 

ノルレボ市販薬化による性感染症の征圧


感染症は新規感染者の前年比減少が続けば、制圧に向かいます。
性感染症も例外ではありません。
日本は先進国の中で新例外的に規感染者の増加が続いており、制圧にはほど遠い状態です。
先進国では性感染症検査を一般化し、早期発見・早期治療により新規感染者の減少に成功しています。
日本で性感染症検査を一般化するには、緊急避妊薬の市販化が現実的な方策です。

緊急避妊薬を諸外国並みの価格で市販化すれば、
年間販売数は400万件以上になるでしょう。
販売に際して、妊娠の判定は3週間後に行える旨の情報を提供します。
また精液が膣内に放出された状態では性感染症リスクが生じていることを説明し、
服用の3週間後から2か月までの間にパートナーと共に性感染症検査を受けるように勧めます。
この情報提供は文書で行う必要があります。
医師や薬剤師の行う口頭での説明だけでは、十分に理解されていないことが多いからです。
また、情報をパートナー同士が共有するためにも、文書が有効です。
性感染症検査の受診を3週間後に限定せず、期間に幅を持たせることも重要です。
病院の処方では妊娠判定と合わせるために3週間後の受診が指定されますが、
市販薬の場合には妊娠判定と性感染検査を別にして考えることができます。
ノルレボを市販薬化し400万件の利用となった場合、800万人に性感染症検査が勧められることになります。
性感染症検査への強い動機付けを持った800万人です。
仮に800万人の1/4が検査を受けたとしても、200万人です。
保健所等での性感染症検査が10万件台なので、200万人の検査がいかに大きい数字であるかわかると思います。
上に、保健所の性感染症検査を有料化しクーポンを発行すべしと書きました。
市販薬化されたノルレボにクーポンを付ければ、さらに検査を受ける人は増加するでしょう。
緊急避妊薬を市販薬化してと性感染症の感染が拡大した国はないのです。
逆に市販薬化した国は、性感染症の制圧に向かっています。
日本も政策の転換を急ぐべきだと考えます。
 

性感染症検査がマナーとなる


かつて性感染症検査は、やましさを持つ人がこっそり受けるもの
でした。
現在の日本では、まだそれは過去のものになっていません。
ここが日本と欧米の最大の違いではないかと感じます。




上の図に見るように、日本のHIV感染者の多くは30歳台以下です。
若い年齢層の感染を防止することが急務です。
緊急避妊の使用はこの年齢層で多くなることが予想されます。
緊急避妊の市販薬化は、この年齢層の意識を変えていくことになるでしょう。
もし、毎年数百万人のカップルが緊急避妊をきっかけに性感染症検査を受けるようになれば、
性感染症検査のとらえ方は全く別のものになっていきます。
性感染症検査を受けた同士のカップルにとって、未検査カップルのセックスはこの上もなく危なっかしく見えてきます。
もし彼らが別のパートナーと性関係を持つにしても、コンドームなしでセックスするなど怖ろしく出できません。
お互いに性感染症検査を受けようと提案するようになるかもしれません。
性感染症検査がマナーとなっていくのです。
性感染症検査がマナーとなれば、多少ともリスクがあればコンドームをきっちり使うようになります。
緊急避妊薬が普及するとコンドームの使用がルーズになるのではないかと心配する向きがあります。
実際は真逆です。
緊急避妊薬が普及し、カップルでの性感染症検査が一般化すればするほど、
コンドームきっちり使用されるようになるのです。
この文化を若い世代から定着させていくことになるのが、緊急避妊薬の市販化です。


2015年9月11日金曜日

生殖にまつわる費用の社会負担を求める論理

日本の人口の長期変化を示したグラフです。

1600年から100年余りの間で、人口は約3倍強に増えています。
新田開発などによる食糧増産が人口増を可能にしました。

もう一つ見逃すことのできない要因は、自作農(本百姓)の創出です。
自作農経営は後継者がいて継続できます。子どもを多めに産み育てようとしたことが、人口増加の要因になったでしょう。

この100年余りの間に画期的な医学の進歩も生殖技術の進歩もありません。3倍強の人口増は、出生数の増加によるものです。食料があれば、ヒトは100年で人口を3倍強にする事ができることを示しています。

1700年過ぎから幕末までの約150年間、一転して人口は静止化します。食糧増産が頭打ちになる、農民の階層分化が始まり自作農が減少していくなどの要因が考えられます。

では、江戸中期から幕末にかけての静止人口は、妊娠数の減少によってもたらされたのでしょうか。いいえ、おそらく妊娠数は基本的に変わらなかったでしょう。妊娠数は変わらないのに、人口は静止化したのです。

この人口の静止化は、間引き・堕胎によってもたらされたと考えられます。18世紀の日本では、人為的な人口調整が広汎に行われるようになったと考えるべきです。

1800年ころになると、堕胎・間引きの禁止政策を導入する藩が出てきます。これは広汎に行われるようになった堕胎・間引きに対応したものであったと考えられます。

明治になると、再び人口増加が始まります。増加率は、100年間で4倍のペースです。3倍強を上回るのは寿命が長くなったことが関係していると考えられます。

人口統計は、明治になると堕胎・間引きが影をひそめたことを示唆しています。広汎な間引き・堕胎が継続していれば、この人口増加ペースにはなりません。

明治新政府は堕胎・間引きの禁令を発しますが、江戸期の諸藩の禁令と異なるものではありません。1880年には刑法に堕胎罪が規定されますが、すでに人口増加は始まっています。法制によって、間引き・堕胎が影をひそめたとは考えられません。

近代国家の成立と共に人口増加が始まる現象は、日本に限ったことではありません。後進国であった日本で見られたのと同じ現象が、開発途上国でも見られました。

近代化が緩やかに進行した先進国では人口増加率は低く、開発途上国では爆発的な人口増加になりました。日本は先進国と開発途上国の中間に位置します。

近代化とともに人口増が生じるのはなぜでしょう。医学や衛生知識の進歩も1つの要因です。しかし、それだけでは爆発的とも言える人口増加を説明できません。

近代化とともに人口増が生じるのは、堕胎間引きが行われなくなるからです。近代以前の人々は共同体規範に従って生活していました。人口増加を拒否する共同体規範が、堕胎・間引きを強いていたのです。

近代国家の成立により、人々は共同体規範を脱し、国家規範に従うようになります。共同体規範の相対的弱化が、堕胎・間引きを消滅させたと考えられます。

もし、堕胎間引きもなく、避妊もないとすると、人口は100年に3~4倍のペースで増加します。帝国主義的な侵略戦争で植民地を獲得しない限り、この人口増加圧力を吸収することはできません。

日本は戦後、世界に先駆けて中絶を合法化し、家族計画運動という世界最初の国策避妊運動を行いました。それは戦争放棄を規定した憲法があったからできた事とも言えます。

以上、日本について述べたことは、時期がずれたりしますが、他の先進諸国にも基本的に当てはまります。社会が必要とする人口調整を女性が、堕胎や避妊として引き受けてきたのです。

そうであるならば、中絶に伴う身命のリスクを女性が負うのは不合理ではないかということになります。女性は安全な中絶を求める権利があります。それが欧米における中絶合法化運動の論理でした。

同様の論理の延長線上に、女性が中絶や避妊の費用を負担するのは不合理ではないかという考えが可能になります。欧米では、中絶や避妊の費用の無料化が急速に進みました。

中絶や避妊は人口増の圧力から社会を守るものであるとすると、出産もまた社会を維持するために必要なことです。そこから、出産や育児の経費が社会で負担すされるようになっています。

さらに言えば、労働における男女格差は女性の生殖と強く関係しています。子どもを産むことが女性の不利益にならない社会の仕組みを作ることは男女平等の実現のために重要であり、課題として取り組まれています。

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関連ツイート
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2015年8月28日金曜日

堕胎罪廃止がもたらす日本の女性の不幸

日本のフェミニストだけが堕胎罪廃止を主張


戦前はどこの国にも堕胎罪だけがありました。
いかなる事情があっても堕胎は犯罪だったのです。
日本では1948年に、欧米では1970年前後に、
堕胎罪を阻却する法律が制定されます。
つまり、一定条件に当てはまる中絶について、
堕胎罪の規定を無効化することにしました。
これを中絶の合法化と言います。
中絶の合法化の際、従来の堕胎罪を廃止した国はありません。
従来の堕胎罪はそのままで、堕胎罪の阻却条項を持つ法律をつくりました。
堕胎罪の阻却条項を持つ法律が制定されると、
従来の堕胎罪は非合法堕胎処罰法に性格が変化します。
日本の刑法堕胎罪も非合法堕胎処罰法の性格を持っています。
イギリスには1861年制定のOffences Against the Person Actがあり、その58条・59条が堕胎罪です。
アメリカでは少なくとも38州に堕胎罪があり、
今春、インディアナ州でPurvi Patelという女性が20年の刑を言い渡され話題になりました。
堕胎罪はほとんどの国に残っていますが、
日本以外のどの国にも堕胎罪廃止の運動はありません。※
堕胎罪は実質的に非合法堕胎処罰法なので、
非合法堕胎処罰法を廃止すると中絶を合法化する法律の意味が失われてしまうからです。
中絶の合法化はフェミニスト達が苦労して手にした権利です。
堕胎罪を廃止し非合法堕胎の処罰をなくせば、
合法化以前の闇堕胎の時代に逆戻りします。
そんな馬鹿げた要求をするフェミニストはいないのです。


80年代から日本の堕胎罪廃止運動を主導してきた柳沢由実子氏は、しばしばスウェーデンのThe Abortion Act(1974:595)を引き合いに出してきました。しかし、同法9章は阻却条件に合致しない違法堕胎に対する罰則を明確に規定しています。
スウェーデンで堕胎について規定したスウェーデン刑法23章は、今も有効です。

堕胎罪廃止により闇堕胎に逆戻り


日本のフェミニストの堕胎罪廃止論を受けて、
日弁連は堕胎罪廃止の意見書を提出しました。
参照 日弁連は堕胎罪廃止意見書を撤回すべき
この意見書が実現するとどのようになるのでしょう。
からだと性の法律をつくる女の会は、堕胎罪と母体保護法を廃止して新しい法律をつくることを提唱してきました。
その案が、「避妊および人工妊娠中絶に関する法律(案)」です(以下、法律案とする)。


この法律案は、堕胎罪廃止論の立場を集約的に示していると考えられます。
法律案を基に、堕胎罪廃止がどのような状況を惹起するのか見て見ることにします。

①指定医制の廃止


世界保健機関『安全な中絶』第2版は、以下のように指摘しています。

中絶を法律で制限することによって,中絶の件数が減少するわけでもなく,出生率が著しく上がるわけでもないこと,これとは反対に,安全な中絶サービスへのアクセスを促進する法律や政策は,中絶率や中絶件数を増加させない。

欧米諸国では1970年前後に中絶が合法化されましたが、
中絶合法化後に出生数が大きく落ち込むことはありませんでした。
なぜなら、中絶合法化前に闇中絶が広汎に行われており、
中絶の合法化は闇中絶を合法化するものにほかならなかったからです。
闇中絶の形態はさまざまでした。
最も裕福な階層は、安全な中絶を求めて中絶旅行に出かけました。
非合法な中絶に高額な報酬を支払える人々は、
産婦人科医に密かに依頼しました。
外科医や助産師など医療関係者に依頼できる人々は、
比較的ゆとりのある人でした。
獣医が密かに中絶を引き受けることもありました。
貧しい人々は怪しげな人に依頼するか、
自己堕胎を余儀なくされました。
不衛生な堕胎により多くの女性が身命の被害を受けていたのです。
この問題点をなくすために、誰でも安全な中絶にアクセスできる制度が作られました。
それが中絶の合法化です。
中絶の合法化で中絶を行えるのは、
安全に中絶を行える専門家だけに限定しました。
現行の日本の制度では、母体保護法指定医師だけが中絶を行えるようになっています。
諸外国では、指定医だけでなく資格を持った看護師等にも中絶を行う資格を認めている例があります。
いずれにしても、安全性を担保する制度が取られています。
指定医制度の廃止は、現行制度から明らかな後退です。


指定医制度の廃止は薬剤中絶の導入を視野に入れたものでしょう。
薬剤中絶の成功率が100%ならば指定医制の撤廃も考慮できますが、
薬剤中絶では一定比率で手術を必要とするケースが生じます。
指定医制の廃止では、安全性は担保できません。

②闇堕胎の復活


法律案では、中絶を行える者は医師としています。
しかし、中絶を行えるのは医師としても、罰則のない規定は実効力を持たず、実際は空文化します。
現行法制では、指定医以外の者が中絶を行うと、堕胎罪により罰せられます。
この罰則規定をなくすのが堕胎罪撤廃論です。
法律案では、自己堕胎を行っても罰則はありません。
医師以外の者が中絶を行っても罰則はありません。
耳鼻科医師が中絶を行うのは合法です。
つまり、合法化以前の状態に逆戻りさせるのが、
法律案の特徴です。
現在、堕胎罪により自己堕胎も含めて、指定医以外の中絶を禁止しています。
経口中絶薬の個人輸入が禁止されているのも、
堕胎罪の自己堕胎条項があるからです。
堕胎罪を廃止すると中絶薬の個人輸入を禁止する根拠が失われます。
金銭的にゆとりのある人は、産婦人科で中絶手術を受けるかもしれません。
しかし、10万円の中絶費用がない女性は、
1~2万円の中絶薬を個人輸入して使うでしょう。
安全な中絶を受ける権利は吹き飛んでしまいます。
そして犠牲になるのは貧しい女性です。

③「本人の意志」の尊重とは


法律案は「人工妊娠中絶を希望する者は、本人の意志のみによって人工妊娠中絶を受けることができる」と規定します。
先進国の中絶法制は、女性の希望での中絶を認める方向にあります。
法律案は世界の方向と合致するようにも見えます。
しかし、この法律案と世界の中絶法制の方向は必ずしも一致していません。
そもそも、女性の希望での中絶が認められるようになったのには、
理由があります。
『楢山節考』という小説があります。
息子は自らの意志で、山に老婆を捨てに行ったのでしょうか。
違います。
村の人口を調節する共同体の掟にやむなく従ったのです。
堕胎や間引きも女性の意志ではありませんでした。
共同体や家を維持するためのルールが、
女に堕胎や間引きを迫ったのです。
現在でも好き好んで中絶する女性は1人もいません。
産みたくても産めない状況があるからやむなく中絶するのです。
産む事にパートナーが不同意であるからと、
中絶を選ぶ女性がいます。
仕事や学業を続けられないからと、
中絶を選ぶ女性がいます。
これは女性が中絶を選んでいるのではなく、
選ばせられているのです。
やむなく中絶を選ばせられている女性が、
さらに身命の危険にまでさらされるのは不条理ではないか。
世界のフェミニストたちが中絶合法化のために戦った理由です。※
そこから導かれる中絶の自由とは、
女に対する中絶強制の排除です。
中絶は強制ではなく、あくまで女の意志でなくてはなりません。
そのような意味での「中絶は女性の意志によって行われる」との中絶法制が普及しつつあります。
では、法規に「中絶は女性の意志によって行われる」と記載すればすむのでしょうか。
いいえ、それだけなら、むしろ有害です。
中絶を強制された時代に逆戻りしてしまいます。
第4回世界女性会議(北京会議)行動綱領は、
日本を含む中絶合法化の国に対して以下のように求めています。

望まない妊娠をした女性には,信頼できる情報と思いやりのあるカウンセリングが何時でも利用できるようにすべきである。

たとえばドイツでは妊娠12週まで女性の求めに応じて中絶できることになっていますが、
妊娠中絶に際して事前のカウンセリングを受けることが法で定められています。
中絶はカウンセリング後、4日経過しないと中絶は行えません。
法律案のように女性の意思確認の手続を何ら定めず、「女性の意志」で中絶ができるとするのは女性の権利を守ることにはなりません。


日本のフェミニストは、世界の中で例外的に中絶合法化闘争を経験していません。
その日本は、フェミニストも含め、中絶の責任を女性の責任/男性の責任/男女双方の責任とする言説で覆い尽くされています。
日本は中絶を社会的責任とするフェミニスト不在の国でした。

④胎児条項の導入と同義


健常者も障害者も命の価値に違いはありません。
健常者も障害者も命の価値は同じです。
かつて人種や障害者を差別し排除する優生学という偽科学が流行したことがあります。
日本のフェミニストも優生学に反対してきた歴史があります。
胎児診断技術の発達により、中絶可能な時期に胎児の障害が高い確率で診断できるようになりました。
中絶の阻却事由に胎児の障害を加えること(胎児条項)には、
賛否両論があります。
法律案は胎児条項問題を女性に丸投げする形で解決しようとするものです。
法律案は、中絶は女性の意志のみで行えるとしています。
これは、胎児の障害が見つかった時に女性は中絶することができることを意味しています。
胎児条項の是非の論議は慎重に行われるべきと考えます。
法律案は、そのような問題意識を欠いています。

⑤女性の責任論を増幅


欧米諸国では中絶が合法化され、それに引き続き中絶や避妊の無料化が急速に進みました。
中絶は社会的要請であり、個人的責任にのみ帰することはできないとの認識が広まっていたからです。
一方日本のフェミニズムでは、中絶は殺人であり女性が責任を引き受けるべきとした田中美津が否定されることはありませんでした。
田中への批判はせいぜい女性だけの責任ではなく男性にも責任があるというものでした。
その日本のフェミニズムが提起しているのが、堕胎罪廃止論です。
この状況で法律案が実施された場合、
中絶の責任を女性が一手に引き受けることになるでしょう。
水子供養はさらに繁昌することになるでしょう。
法律案は日本の女性の苦しみを救うものでは決してありません。

⑥中絶や避妊の公的負担を妨害


私は中絶や避妊費用の社会的負担(たとえば保険適用)を一度も口にしたことがありません。
日本の中絶費用や避妊費用が諸外国と比べて異常に高いことを知っていても、口にしたことはないのです。
フェミニストの中には、保険適用を声高に叫ぶものもいます。
私はなぜ保険適用を口にしないのでしょう。
中絶費用や避妊費用の社会的負担には、さまざまな理由付けが行われてきました。
その中で決定的に重要なのは、中絶は女性が望んで行っているのではないという認識です。
この認識が社会的に共有されなければ、社会的負担は実現しません。
驚くことに、日本のフェミニストは中絶や避妊について個人的責任論を受け入れているのです。
個人的責任論を受け入れながら、社会的負担を求めることは整合性を持ちません。
脳天気なフェミニストたちを眺めてはため息をついていました。
日本の中絶や避妊の費用が異常な高さなのは、
懲罰的な意味合いを帯びているからでしょう。
こんな馬鹿げたことがまかり通るのは、
女性の責任を否定する論理が決定的に弱いからです。
個人的責任論を受け入れてしまえば、
懲罰的価格にさえ抗議できないのです。
法律案では、中絶は自己責任となります。
法律案は、中絶を実質上合法化前の時代に引き戻すものです。
中絶や避妊の社会負担はさらに遠のいてしまいます。

⑦経口中絶薬の導入を妨害


経口中絶薬による中絶は、費用負担の軽減化や心理負担の軽減など、
大きなメリットがあります。
日本にも経口中絶薬の導入が必要です。
しかし、この法律案は経口中絶薬の導入の障害となります。
この法律案の特色は、自己堕胎の容認です。
自己堕胎の容認を言い換えれば、
経口中絶薬を個人輸入などで入手して使用することの容認です。
一方で、経口中絶薬による自己堕胎を容認しながら、
他方で経口中絶薬の導入を求めることは矛盾します。
法律案は経口中絶薬の導入を求めるポーズを取りながら、
実際は経口中絶薬の導入を妨害するものです。

⑧カウンセリング導入を妨害

北京会議行動綱領は、中絶合法化国と中絶非合法化国に対して、それぞれ別の要求をしています。
中絶非合法化国に対して非罰化を求めています。
堕胎罪廃止論は、日本が中絶非合法国であるとの妄想的認識の上に成り立っています。
参照 日弁連は堕胎罪廃止意見書を撤回すべき
しかし、実際は日本は中絶合法化国です。
北京会議行動綱領が中絶合法化国に対して、
信頼できる情報と思いやりのあるカウンセリングが何時でも利用できるようにすべきである
としています。
中絶合法化の国では北京会議行動綱領にそってカウンセリングの充実が図られています。
ところが、日本は中絶非合法国との認識に立てば、カウンセリングの充実は要請されていないことになります。
実際、日本では中絶に伴うカウンセリングの問題は、ほとんど等閑視されてきました。
妄想的認識が、日本の中絶環境の改善を妨害しています。

⑨中絶反対派に加担


中絶を個人的悪と捉える宗教的保守勢力があります。
宗教的保守勢力による中絶の権利の縮小の企ては失敗してきました。
しかし、これから先も、母体保護法の改悪提案がなされると予想されます。
これまでと違い、日本は人口減少社会になっています。
現在の人口減少率/数は大きなものではありません。
ところが、十数年後には経済活動にとって無視できない程度の人口減少率になります。
中絶抑制/禁止の圧力はこれまで以上に強まると考えられます。
中絶抑制/禁止論は、「中絶は女の身勝手」論に必ず立脚しています。
世界のフェミニストは、「中絶は女の身勝手」論と戦ってきました。
ところが、法律案はただ単に中絶を自由にせよと要求するものです。
日本のフェミニストの堕胎罪廃止論/法律案は、
「中絶は女の身勝手」論を裏付ける内容になっています。
堕胎罪廃止論/法律案では、中絶抑制/禁止の圧力に対抗できないように思われます。

⑩中絶の権利と避妊の権利は表裏一体


完全な避妊はありません。
どのような避妊法を取ろうと一定比率で意図しない妊娠が生じます。
意図しない妊娠をした人の全てが産める条件を持っているわけではありません。
人間は社会的制約の中で生きているからです。
産む産まないの選択が女性に迫られます。
この2つの選択はどちらも、女性に不利な選択でした。
産まない選択は、女性に身体的・経済的負担を強いるものです。
産む選択は、女性の生き方を制約するものです。
これは女性に強いられている不条理でした。
リベラルフェミニズムはこの不条理を重視しました。
そこで、だれでもアクセスできる効果的避妊を要求しました。
中絶が経済的・精神的負担にならないシステムを求めました。
出産が、女性のキャリアに不利にならない社会を求めました。
中絶や避妊は個人的な責任の問題ではなく、
社会が女性に強いている不平等の問題と考えたからです。
社会的保育の充実もシングルマザーの支援も、
性の問題から発する一連の課題と考えられたのです。
一方日本のフェミニズムでは、
性の問題はある時は女の責任と考えられ、
ある時は男女の責任と考えられました。
あくまで個人的な責任の問題として捉えられたのです。
日本のフェミニストが性の問題で提起したのは、
堕胎罪の廃止だけです。
ほとんど一枚看板といってよいでしょう。
この奇妙な提案がなされるのは、
堕胎罪が女性だけを処罰対象としている不平等な法律、
と捉えられたからです。
男女の個人的責任論の延長線上に出てきたのが、
堕胎罪廃止論です。
社会的責任論ではなく個人的責任論にどっぷりつかった日本のフェミニストは、
ピルの認可に消極的態度を取ったり、
緊急避妊薬の市販薬化に反対したり、
今なお迷走を続けています。

⑪権威主義と馴れ合い


日本のフェミニストが堕胎罪廃止論を唱え始めて30年以上の年月が経過しました。
堕胎罪廃止論は、およそフェミニズム的な主張ではありません。
それは女性の権利に反するものです。
しかし、不思議なことに堕胎罪廃止に疑義を提起するフェミニストは誰一人としていませんでした。
中には、ツイッターで堕胎罪廃止論批判を「何をこじらせたのか」ともの笑いにするフェミニストもいます。
諸外国の中絶法制を論じた学術論文には、堕胎罪と阻却との関係を明確に指摘している論文もあります。
堕胎罪廃止論の間違いに気づいているフェミニストがいるかもしれませんが、
それでも誰も声を上げません。
なぜなのでしょうか。
フェミニズムが合理的思想ではなく、教義になっているからではないでしょうか。
教義の下でなれ合うフェミニストは、決して女性達の信頼を得ることはできません。

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